バングラデシュ訪問記
~番外編 フェアトレードの理想を追う「タナパラ・スワローズ」~

バングラデシュ訪問記 <br>~番外編 フェアトレードの理想を追う「タナパラ・スワローズ」~


2022年~2023年の年末年始にバングラデシュを訪れたグローバル・ヴィレッジ代表 胤森から、3つのプロジェクトそれぞれの今を、3回シリーズでお届けしました。

もう一つ、今回の訪問であらためて感じたことや感激したエピソードをぜひ共有したく、番外編にてお伝えします。

私がバングラデシュを訪問するのは2回目、17年ぶりのことでした。ピープルツリーではコロナ禍の2年間を除けばほぼ毎年、仕入担当のスタッフが生産者を訪ねて品質向上や商品開発をサポートしています。私は日本国内でフェアトレード啓発や組織運営を主に担当してきたため、現地訪問の機会がほとんどありませんでした。

生産者パートナーを日本に招待してセミナーを開催したり、WFTO(世界フェアトレード連盟)の国際会議に出席して生産者代表とやり取りする機会はあったものの、2005年に初めてバングラデシュを訪れ、現地の空気に触れ生産現場で働く人びとに直接会った経験は格別なものでした。中でも、首都ダッカから車で6時間以上かけて訪れたタナパラ村で、土の匂いや鳥の鳴き声が溶け込むおだやかな風景や、生産工房と小学校、訪問者が滞在できるゲストハウスなどがひとつの敷地の中で共同体のように運営されているタナパラ・スワローズに、フェアトレードが実現しようとしている理想の姿があると感じました。

タナパラ村は、インドとの国境を流れるパドマ川(ガンジス川支流)に面した、美しくのどかな村です。
17年ぶりに訪れたタナパラ村には、以前と同じゆったりとした時間が流れていました。
ほとんどの家屋は、芦や竹を泥で固めた質素な作りで、煮炊き用の燃料は主に牛のフンを乾燥させたもの。村人は牛やヤギ、アヒルを飼って乳や卵を自給し、余剰を売って副収入を得ています。

村の暮らし。(上から)芦や竹を泥で固めて建てた家。庭先で飼われているアヒルと山羊。牛のフンを乾燥させた燃料(撮影:サントゥさん)

 

そんな村の中にあるタナパラ・スワローズの敷地内には、事務所に隣接して生産工房があり、糸の染色、はた織り、縫製、刺繍の4部門で150人あまりの女性が働いています。

 

タナパラ・スワローズの敷地の見取り図。事務所(図の左下)、生産工房(右下)、小学校(右上)、ゲストハウス(左上)が隣接している

(左上から時計回りに)糸の染色、はた折り、刺繍、縫製の作業風景

 

しかし2020年からの2年間、コロナ禍の影響を受けて世界的に衣料品の需要が減り、主に衣類を生産しているスワローズの受注は激減してしまいました。ピープルツリーも例外ではありませんでしたが、他の欧米のバイヤー組織も、経済の先行きを見通せない中で発注を控えざるを得なかったのです。

衣料品は景気の影響を受けやすく、コロナ禍の影響が一段落して外出する機会が増えた今も、需要が戻る可能性は低い状況が続いています。ピープルツリーではタナパラ・スワローズへの発注額を少しでも増やせるよう、2021年からオーガニックコットンのタオルの発注を始めました。

 

オーガニックコットンを手織りした、ワッフル地のバスタオル

 

生産マネージャーのサントゥさんは、受注を増やして難局を乗り切ろうと、新たなバイヤーの開拓に奔走していました。
生産工房を訪ねたこの日、刺繍セクションで女性たちが作っていたのは、ヨーロッパのバイヤー向けのベッドカバーやクッションカバーでした。2月にドイツで開催される「アンビエンテ(世界最大の国際消費財見本市)」に他のフェアトレード生産者団体と共同で出展するため、サンプルの製作も進んでいました。

サントゥさんは、40年以上タナパラ・スワローズを率いてきた代表のライハン・アリさんの娘婿でもあります。12年前に脳梗塞で倒れ左半身が不自由になってもまだ精力的に仕事を続けるライハンさんですが、これからは少しずつサントゥさんに仕事を引き継いでいくことでしょう。そうやってタナパラ・スワローズの活動がこの先も継続していくことを願っています。

ライハンさん(右端)、サントゥさん(左端)、ライハンさんの妻で総務や経理を担当するギニーさん(その隣)、娘でサントゥさんの妻、エラさん(前)

 

もうひとつ、今回のタナパラ・スワローズ訪問ではとても嬉しい出会いがありました。

多忙なサントゥさんに代わって生産工房を案内してくれたのは、アシスタントのショハグさんという若い男性でした。
子どもの頃に父親が事故で体が不自由になり、母親がスワローズの染色部門で働き始めたといいます。ショハグさんはスワローズ小学校を卒業して村外の高校、専門学校に通っていましたが、父親の収入が途絶えて学業を諦め、スワローズでパートタイムの仕事を得ました。今はフルタイムで働き、新しく立ち上げられたプリント部門を任されています。

私が2005年にタナパラ村を初めて訪ねたことを話すと、なんと「その頃僕はスワローズ小学校に通っていました」というではありませんか!
17年前に私は、当時9歳だったショハグさんに会っていたかもしれないのです。思わず、今はどんな暮らしをしているのか、家族はいるのか、などとショハグさんを質問攻めに。すると、自宅がすぐ近くにあるので案内してくれることになりました。

1年前に結婚したばかりの奥さんと、7月に生まれた娘を紹介してくれたショハグさんの幸せそうな姿を見て、タナパラ・スワローズが果たしてきた役割の大きさをあらためて感じました。

 

幸せそうなショハグさん(右)。奥さん、娘さんと

 

タナパラ・スワローズは、フェアトレードの製品づくりを通じて村の人びとに収入の機会をつくるだけでなく、地域開発プロジェクトとして、学校の運営に加えてドメスティックバイオレンスをなくすためのコンサルティング、少額の出資を集めて医療サービスが受けられる健康プログラムなど、幅広い活動を行っています。

フェアトレードと地域開発の両輪で、地域の経済的・社会的な発展を目指すという理想を実現しようとしているタナパラ・スワローズ。

もちろん、すべてが理想通りに進むわけではありません。需要が見込めなければバイヤーは製品を発注することはできず、仕事がなければ職人達は収入を得られません。どんな製品が売れるのか、お客様のニーズを探りながら商品を開発する、そしてお客様に満足いただけるデザインや品質を実現するために、職人達は技術を上げる努力をする。つくり手と買い手が密にコミュニケーションを取りながら一つひとつ課題を乗り越えてゆくことこそ、フェアトレードならではのパートナーシップのあり方だと思います。

20年以上共に歩んで来たタナパラ・スワローズと、これからもフェアトレードの理想を追っていきたいと心から感じました。

 

【バングラデシュ訪問記~現地の今】

Vol.1 20年以上継続する衣料産業労働者の活動支援

Vol.2 女性を応援する研修プロジェクト

Vol.3 村の学校支援プロジェクト

 

【タナパラ・スワローズの活動についてアーカイブ動画】

2022年4月24日、「ファッションレボリューション・デー」に合わせ、ライハンさん、サントゥさんをお招きしてオンラインイベントを開催しました。

ファッションの裏側にある労働搾取や環境問題について、ピープルツリーのジェームズ・ミニー社長のコメントも交えてお伝えすると共に、ライハンさん、サントゥさんからスワローズの活動内容や現地の暮らし、コロナ禍の影響などについてお話いただきました。

アーカイブ動画はこちら

当日は、現地で停電が起き回線が途絶えるアクシデントがあり、お見苦しい場面もありますが、臨場感をお伝えするためにノーカットで公開しています。
90分の動画ですが、目次があってコンテンツごとにスキップできますので、ぜひご視聴ください。

また後日、あらためてお二人をインタビューし、仕事を始めたきっかけややりがい、日本のみなさんへのメッセージなどをお聞きしましたので合わせてご視聴ください。

追加のインタビューはこちら