グローバル・ヴィレッジは30周年を迎えました
~Vol.1 誕生ストーリー~

グローバル・ヴィレッジは30周年を迎えました<br>~Vol.1 誕生ストーリー~


ピープルツリーの母体NGOである「グローバル・ヴィレッジ(GV)」は、環境や貧困の問題に対して何とか現状を変えたいと考える個人のパワーから生まれました。

 

母国イギリスから夫のジェームズと共に日本に移り住んで2年目を迎えたサフィア・ミニー(当時27歳)は、環境保護と途上国支援の活動に関わりたいと考えていましたが、満足のいく情報や納得できる活動の機会が見当たらず、フラストレーションを感じていました。イギリスではさまざまなNGOから途上国問題に関する情報やフェアトレード商品が簡単に入手できたのに、当時の日本では生協のような大きな消費者運動が盛んだったものの、フェアトレードはごく少数の団体が活動しているのみで商品も入手しにくかったのです。サフィアは会う人すべてに環境と貧困問題に対する情熱を伝え始めました。

 

1991年、サフィアとジェームズは親戚の結婚式のために、南アフリカから独立したばかりのナミビア共和国を訪れました。人口わずか160万人のこの小国では、武器を片手に育った多くの若者達が職業訓練を必要とし、失業率は80%に達していました。そこで二人はナミビアの共同体から手工芸品を輸入し、日本に馴染みの薄いこの国とアフリカが直面している問題に関心を持ってもらえるよう呼び掛けました。二人の日本人の友人が賛同し、ナミビアの工芸品とその背景を紹介する「ナミビアの手工芸品展」を開催することになりました。

 

同年11月に行った10日間の展示会はテレビや新聞でも紹介され、大成功に終わりました。この時の主催団体を、「言葉も文化も異なる人たちが争いや搾取をせず、ともに暮らすひとつの村」という意味を込めて「グローバル・ヴィレッジ(GV)」と名付けたのです。

1991年11月1日、ナミビアの手工芸品展の開催がグローバル・ヴィレッジの創立につながった

 

展示会の成功に手応えを感じたGVのメンバーは、横浜のミニー家の自宅に事務所を構え、次にリサイクルの促進に取り組みます。大学生のスタッフが約1,000時間を費やして、東京都と一部の横浜の55の行政エリアで、どのようなリサイクルを行っているか調査しました。当時は環境課やリサイクル課さえ設けていない自治体がほとんどでしたが、多くの市民グループがリサイクルに取り組んでいました。そこでGVは、東京中の3,000のグループをリストにまとめて発行すると同時に、こうした情報の必要性を自治体に訴えました。こういった活動に多くの新聞社が関心を寄せ、記事に取り上げました。

 

やがて、多国籍のボランティアスタッフに恵まれたGVは、日英対訳のニュースレターを年4回発行するようになりました。並行して、イギリスで販売されていたフェアトレードの紅茶や紙製品などを日本でも販売しようと、生産地のインドやバングラデシュから日本に直接輸入し、ニュースレターで紹介を始めました

ミニー家の自宅で定期的に行った勉強会。中央左がジェームズ・ミニー

 

国際協力イベントでブース出展。中央がサフィア・ミニー

 

1993年、サフィアとジェームズは初めてバングラデシュを訪問しました。日本での販売を拡大するには、日本人の好みやライフスタイルに合った商品を開発する必要があると考えたのです。現地のフェアトレード組織に新商品を提案し、ジュートを手編みしたバッグや、余剰繊維をリサイクルした紙製品などを注文しました。これらの商品を紹介するA3・六つ折りのパンフレットをつくって通信販売を始め、さまざまな国際協力のイベントにブースを出展して商品を販売しました。

これが、のちにピープルツリーのフェアトレード事業につながっていったのです。

1993年に初めて発行したフェアトレード商品のカタログ

 

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